こんにちは
父とその子供である私の関係について書いてみました。
少し長くなるので前後編に分けています。
本日は後編です。
できれば全体の内容をつかむため先に前編をお読みください。
前編はこちら。
- 実は父は高額所得者だった
- 社会人になってから父とは絶縁状態に
- 親の幸福度を低下させるのは子育てにかかる大きすぎる費用
- 子育てにかかる費用で幸福度が低下していたのは理解できる
- 何十年ぶりかに父と会った
- 父を理解はできても肯定はできない
実は父は高額所得者だった
高校卒業後、私は母がお金を工面してくれたので国公立大学に進学できました。
その在学中に、20歳以上の大学生も国民年金に強制加入となったのです。
そこで私は、国民年金保険料を免除してもらおうと役場へ相談に行きました。
すると私は免除対象ではないと窓口の担当者に言われました。
なぜかと聞いてその返答に驚きましたよ。
父の年収が多すぎるので、あなたは国民年金保険料を払わないといけないと。
具体的な父の年収額も教えてくれました。
今だと個人情報漏えいで大問題だと思います。
しかし昔の田舎の役所はそのあたりゆるゆるだったでしょう。
ちなみに教えてもらった父の年収額はかなり高額でした。
父は家族にとっては最低な部類の人です。
家族に対してケチるだけケチり、自分の手元に残した金は愛人等自分の使いたいように使う。
今だと即離婚ものですよ。
母になぜ離婚しないのかと聞いたら、子供を社会に出すのに父のお金が最低限にしろ必要だったからと言われました。
母も昭和の人ですねえ。
離婚しても養育費が取れる望みが薄かったのかもしれませんけど。
社会人になってから父とは絶縁状態に
社会人になって、自分で自分の生活費をなんとかできるようになってからはほとんど父の顔を見たことないですね。
母もぼろぼろの家では病気になってしまうといって、父と別居しましたからね。
そうなったらもはや父ひとりの家に寄り付く理由がありません。
なので自然と絶縁状態になりました。
今まで述べたように、私は父の傍若無人な振る舞いを長年見てきました。
なんで父がこういう人になってしまったかずっと疑問だったのですが、これが理由なのではというネット記事を読みました。
親の幸福度を低下させるのは子育てにかかる大きすぎる費用
子どもを持つことは、必ずしも親を幸せにはしない。事実、これまでの研究で、一般的に子どもを持つことは親の幸福度を低下させることが分かっている。
だが、ある最新の研究がついにその不幸せの原因を見つけたかもしれない。お金だ。
この記事はアメリカ人が書いたものを日本人が翻訳したようです。
ということで、内容もアメリカ人向けです。
ただ、これはまさに我が家に当てはまっているのではないかと思いました。
子育てにかかる費用で幸福度が低下していたのは理解できる
父が子どもにかかる費用を出し渋っていた理由。
引用記事を当てはめるとある程度理解できます。
自分に対する幸福度が、子育てにかかる出費のために低下していた。
これでしょう。
普通の方なら、子供にお金がかかるのはしょうがないと思うでしょう。
ですが私の父は精神的に未熟なまま大人になった人でした。
自分がせっかく稼いだお金なのに子育てにどんどん流れてしまう。
我慢ならない。
そう短絡的に考えるような人です。
いつも自分本位でしか物事を考えない人とも言えます。
そのため自分の幸福度を上げるために外に愛人を作って遊び回っていたのでしょう。
父は短絡的かつ感情的に動く人なので、本能に従って外に愛人を求めたのだと思います。
ちなみにお金をかなり使っていたからか、複数の愛人がいたようです。
母が証拠を押さえていました。
そのうちの一人は、母に「父と別れろ」と手紙まで送ってきたようです。
その手紙は母が愛人がいた証拠としてがっちり保管しています。
何十年ぶりかに父と会った
実はしばらく前に父と会いました。
田舎にある土地のトラブルを解決するために私が動くことになり、その関係もあって数十年ぶりに顔を見ました。
そのときにこう言われました。
「おまえたちに恨まれているのはわかっている。」
確信犯ですか、父は。
あなたが今更自覚しても私の子供時代はどうにもならないのですが。
まあそう言いつつも反省しているという感じではなかったです。
父は単純に自分自身の幸せを追求しただけなのでしょう。
でもこれ、父としては失格ですよね。
父親としての自覚が全くない。
たぶん、父は父になりきれないまま人生を終えるのでしょう。
父を理解はできても肯定はできない
私は父の考えがある程度理解できます。
自分の稼いだ金が自分の制御の及ばないところで消費されていく。
これはつらいでしょう。
でもその考えを肯定はできません。
子供を持った以上は責任を持つべきです。
それが親として当然でしょう。
責任をなかば放棄した父を、私は父として肯定することはできません。
理解することと肯定することは全然別物ですよ。
私は土地トラブルが解決できたら、その後父とは完全に縁を切ります。
私の関知しないところでお好きなように生きてください、って感じですね。
まあ私もひどい奴です。
親を見捨てる宣言していますからね。
指摘されなくてもわかっていますので。
ではまた。
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