こんにちは
はてなブログのおすすめに、以下のようなものが挙がっていました。
このブロガーさんが記事で書かれている要点を私なりに抽出すると、
- 世界とはイコール私自身のことであり、私が死ねばセカイは終わる。
- だから私は世界のサステナビリティに興味がない。
- 40代も中盤を迎え子供を設ける可能性が限りなくゼロに近づいたいま、私はいわゆる「無敵の人」にどんどん近づいていっていると、自分自身について感じている。
ということのようで、「無敵の人」という書き方をされています。
なぜこういう考えに至るのか、突き詰めると「大人ではあるが親ではない」というところに集約されるようです。
次世代に渡すものが無い。
つまり子どもがいないので自分自身で世界が完結する、ということ。
これってまさに私のことですわ。
私には子どもがいません。
50歳をとっくに過ぎ、今から子どもを授かる可能性は限りなくゼロに近いでしょう。
自分で子どもを産むわけではないですが、私と子どもを作ろうなんて酔狂な人は出てこないでしょうし。
となると、私が死んでしまうと、それで終わり。
私に子孫がいない以上、いくら資産を増やそうがモノを収集しようが受け継ぐ人がいないという。
最終的にはお上に全部召し上げられてしまいますね。
そうなると、考え方の根幹が
自分が死んだあと世界がどうなろうが知ったことじゃない
ということになっちゃうんです。
こうなるともう一種の「無敵状態」です。
環境に配慮なんてあまり考えませんもの。
今、若者が環境問題で色々と抗議活動やってたりするじゃないですか。
あれ、私は全く関心が無いんです。
うるさい連中だ、くらい。
若者が若者の立場で「これ以上の贅沢はいらない」と言いますが、では私は私の立場から言ってもいいんですよね?
私から言わせると、「うるせーよ個人の生活くらい好きにさせろ」ってなものです。
だいたい今の若者はスマホやPCでおもいっきり地球資源を消費しているはずですが、彼ら彼女らは環境に優しい行動しかしていないんですか?
グレタとかいう活動家がわあわあ叫んで、それを左派マスメディアがウレションしながら拡散していますが、では彼女は全く地球を汚していないと?
地球を本当に汚したくないなら、少なくとも子どもは作りなさんな、って思いますわ。
人間が1人増えるたびに地球の負荷は増えていくってのに。
てめえら自身が吐く二酸化炭素をまずどうにかしやがれ、って思いますもん。
まあときどきこのように極論的に思考がぶっとんだりもするんですが。
私は無職の人ですが、段々と無敵の人に近付いているってことなのでしょうか。
せめて犯罪者だけにはならないよう、自分を律していこうということで、まとまりのない駄文を終わります。
ではまた、
↓↓各ジャンルの他ブログが読めます↓↓