48歳からのセミリタイア日記

48歳でまだ早いかなと思いながらもセミリタイアしました。生活、資産運用、旅行、その他いろいろ。元公務員です。

お母さんとお父さんが

 

こんにちは

 

派遣バイトが終了して自由時間を得た私は、はてなブログでおすすめ記事を眺めていた。

そこであるタイトルに惹かれてちょっと読むことにした。

 

こちらのブログ記事である。

みなさんも良かったらリンク先を読んでみてほしい。

herako.hatenablog.com

 

この記事を読破して、何も心を動かされなかった、又は単純に作者のherakoさんに同情の念を抱いたあなたは、幸せな子供時代を送ったに違いない。

一方私は、この記事で鋭く心を抉られた。

なぜなら、まさに子供のころの我が家が「お母さんとお父さんが口をきいてくれません」だったからだ。

herakoさんには勝手にシンパシーを感じている。

ただherakoさんの家と我が家が決定的に違っていたところが、ひとつだけある。

herako家では高校に行くころまでは仲の良い両親だったらしいが、我が家では私が物心ついたころから、両親が仲良く会話している記憶がない

ときたま、深夜に怒鳴り合いしている声でたまたま目が覚めてしまったとき、これは夢だ、悪い夢だ、と思ってまた寝ようとして、そこで「バシーン」と父が母を殴る音、そして「あんた私をぶったね!」という母の叫び声が聞こえてまさに悪夢だった。

そして、それさえも母に言わせるとまだ「コミュニケーションが取れている状態」だったらしい。

最終的には、父は面倒な話になると布団を頭からかぶって知らん振りを決め込むようになった。

私の大学進学の話をするときもそう、父は自分がお金を出したくないばっかりに布団を頭からかぶって私や母が何を言っても無視していたのを覚えている。

最終的には母がなんとかお金の工面をつけてくれて大学に進学できたので、今でも母には頭が上がらない。

このとき、親戚中で「〇〇ちゃん(母)すごいよ、どうやってlunaを大学に行かせているんだろうね。」と噂されていたと後に伯母から聞かされた。

 

 

 

herakoさんは両親の不仲が原因のひとつと思われるうつ病を患ってしまったとのこと。

もしかしたら、私のメンタル不調も、子供のころからのことが遠因にあるのかもしれない。

ただ、herakoさんと違って、私が小さいころから我が家はそういう状態だったから、それがなかば当たり前の家庭なんだ、と私は高校のころまで思っていた。

「我が家」は「よそ」とは違うんだ、と自覚したのは高校のころ、クラスメートの女の子の家に男女合わせて10数名で遊びに行ったときのこと、その子のアルバムとか見て、あちこち旅行に行ったり幸せそうにしている沢山の家族写真を見たとき。

我が家では、そうした家族写真はない。

 

私は、幸せな家族像が何か、わからない。

子供のころから体験していないから。

何が、幸せな家族、なんですか。

わからない。

わからない。

 

そのためか、自分で家族を作ろうという気が全く起きなかった。

国家公務員という、結婚相手を見つけるのにぴったりな職業に就いたにもかかわらず。

平成初期までの公務員だと結構な割合で上司から見合い話が持ち込まれていたものだ。

ただ、私にはそういう話が来たためしがない。

たぶん、往時の私は家族を作れないオーラをそこいら中に撒き散らかしていて、それが誰にもはっきりと認識できるくらいの状態だったのではないか。

 

 

 

herakoさんは両親に対して「別れてほしかったとは言えない。」「無理をして仲良く振る舞ってほしかったとも言えない。」「ただ言葉は交わしてほしかった。」と。

私にはそんな感情はなかった、ただただ父が憎かった。

私にとって、父とはクズでカスで親としてはどうしようもないゴミのようなものだった。

いない方がよほどましだった、と今でも思っている。

私は母になぜ離婚しないのか、尋ねたことがある。

別れないのは、愛人への「当て付け」だと言われた。

離婚してもさっさと愛人と再婚してしまう、それを邪魔するために別れないのだ、と。

でも、別れた方が、きっと母は幸せだったに違いない。

金銭的には、国からの支援と母自身の稼ぎでなんとかやれたはずなのに。

しかし、父への復讐に囚われてしまった母は、やはりどこか病んでいたのかもしれない。

 

はっきり言って、そんな不幸は私の世代で終わりにしてほしいものだ。

令和の子供たち、みんな幸せになるよう、今日も僕は祈る。

 

ではまた。

 

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