48歳からのセミリタイア日記

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嫌なら見るな、が通用する世界に私は住みたい

 

こんにちは

 

最近思うのですけど、なんか言葉や表現に不寛容になってきてませんかね。

どのくらい前からでしょうか、この傾向。

平成の二桁以降の話ではないでしょうか。

まあ寛容になってはいけない事柄もあるのですが。

その線引きが難しい今日このごろ。

少し考えさせられるニュースを見かけたので取り上げてみます。

 

  

女性受講生が環境型セクハラを受けたとして大学を提訴

news.livedoor.com

京都造形芸術大の東京キャンパスで公開講座を受けたところ、ゲスト講師から環境型セクハラにあって、精神的苦痛を受けたとして、受講していた女性が、大学を運営する学校法人「瓜生山学園」を相手取り、慰謝料など計約333万円の支払いをもとめる訴訟を東京地裁に起こした。提訴は2月22日付。

 

これ、最初はよくある大学教授によるセクハラ事案だと思っていたのですよ。

だって、記事の続きがこれですから。 

講義は、涙を流した少女がレイプされた絵や、全裸の女性が排泄している絵、四肢を切断された女性が犬の格好をしている絵などをスクリーンに映し出すという内容 

 

文字にするとおどろおどろしいですね。

こりゃこの講師やらかしやがったなと思いましたよ。

ところが、少し見る角度を変えると違うものが見えてくるようです。

 

一般人の意見と現代芸術家の反論 

私も含めてネットで見た限りの一般人の意見は、おおむね女性側に立っているようです。

そして講師に対する非難が多かったですね。

そりゃ一次情報があのニュースだけならそうなりますね。

 

それに対して、反論する方がいらっしゃいました。

 

このツイートされた方は、ツイッターのプロフィールによると現代芸術家らしいです。 

すみません、私はその方面にまったく疎いもので、公開講座のゲスト講師の方とこの現代芸術家の方双方とも知りませんでした。

で、この方の反論要旨はこうです。

  • ゲスト講師がどういう芸術表現をする方か少し調べればわかる
  • 女性はわざわざゾーニング(区分け)されたところにやってきた
  • 苦痛ならば途中で退席すればよいものを最後まで受講した
  • そのうえで苦痛を訴えたのはどうよ?

 

うーん確かにおっしゃっていることに道理があります。

芸術大学の公開講座と言っても、受講生を大学内だけでなく広く一般から集める「公開」形式なだけで、大通りの真ん中で「公開」して行ったわけではありません。

講座自体はゾーニングされたクローズトな教室で行っています。 

そしてゲスト講師の作風が独特なもののようです。 

 

 

 

芸術大学の公開講座のゲスト講師 

今回セクハラを引き起こしたと言われているのは、芸術大学の公開講座のゲスト講師です。

実はこの方、現代芸術家としてそれなりに有名な方だそう。

すみません、無知なもので今回の事件で初めて知りました。

そして、この方の作風がまさに最初の見出しで引用した感じのものらしいです。

つまり、この講師は自らの作風を元に講義しただけ。

で、この講師の芸術作品や作風は、少しググれば誰でもわかるものです。

この私も講師名を入れてググると一瞬で検索できました。

 

普通、芸術大学という特殊な分野の公開講座を受講するのであれば、講師の簡単な履歴くらい調べるでしょ、というのがツイートした現代芸術家の方の主張です。

 

芸術家の作風もよく調べずにゾーニングされた場に参加

講義内容に苦痛を感じたのに退席するわけでもない

でも自分が気に入らない講義内容だった

だから排除すべく裁判

これってどう?

 

こう問われたとしてどうします?

 

私は女性側に正義があると思っていました。

しかしこれに対する適当なアンサーは思いつきませんね。

  

自分にとって不快なモノは叩いて潰すというディストピア

最近この手の、自分にとって不快なモノは大きな騒ぎにして叩き潰す、増えていませんかね。

SNSが一般化して、広く自分の主張を広めて手っ取り早く支持者を集めることが簡単になってきたからでしょうか。

 

よく多様性が大事、多様性が大事って聞きますよね。

LGBTを社会的法律的に認めるのも多様性。

異民族を事実上の移民として受け入れるのも多様性。

ならば、今回の芸術大学の件も多様性で認められないのでしょうか。

え?不快に思う方がいるからだめ?

結局こういうことでしょうか。 

tyoshiki.hatenadiary.com

 

有象無象あるから多様性のような気がしますけどね。

 

 

 

嫌なら見るな、が通用する世界に私は住みたい

かなり昔の話になります。

かつてあるテレビ局が韓流ドラマを大量に流していたのです。

すると、「韓流やめろ、公共の電波で流すな」

とネトウヨと呼ばれる界隈からの抗議が殺到しました。

それに対してある芸人が「嫌なら見るな」と発言。

この発言が大炎上しました。

 

嫌なら見るな

 

これで良くないですかね。

自分が快と思うものと不快に思うものが共存する世界。

まさに多様性を生かす言葉ではないですか。

不快なものまで直視しろとは言わない

嫌なものは見なければ良い

これでは駄目ですか、

 

公開講座で自分にとって不快な内容があった。

嫌だった。

だから見ないように席を立った。

もうゾーニングされたあの場には近寄らない。

 

これで済ませませんか。

わざわざ裁判にする話ではないと思うのですけど。

それとも自分にとって不快なものは撲滅しないと気が済まないですか。

 

韓流ドラマばっかり流しているあのテレビ局が嫌だ。

嫌なら見るな。

もうあのテレビ局見るのはやめよう。

これでいいじゃないですかね。

 

お互いギスギスすることなくゆる~く行けないですかね。

嫌なら見るな、でいいじゃないですか。

 

特に多様性多様性と念仏のように唱えている界隈で顕著なんですけど。

多様性と言いながら、

「自分たちにとって気持ちの良いものだけが多様性」

となってないですか?

 

嫌なら見るな。

多様性を生かす良い言葉だと思うのですけどねえ。

それが通用する世界に私は住みたいです。

 

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