こんにちは
先日、福岡・原鶴温泉の旅館に泊まりに行ってきました。
この記事では、その途中に立ち寄り見学した、太刀洗平和記念館について紹介します。
筑前町立太刀洗平和記念館
太平洋戦争中、福岡県の大刀洗町、筑前町、朝倉市にまたがった広さの土地に、太刀洗陸軍飛行場がありました。
当時は東洋最大級の大きさの飛行場と言われていたようです。
戦争中は特攻隊員の訓練基地としても使われましたが、戦後は廃港となり飛行場としては跡形もありません。
現在、飛行場の跡地は農地や工場用地、道路となってしまい何処がどうなっていたのか全く分かりませんが、当時の資料を集めた施設として太刀洗平和記念館があります。
実は私の伯父(母の兄)は予科練で特攻隊員の訓練をしていました。
戦争がもう少し長引けば、特攻隊として出撃していたようです。
いわば特攻隊の生き残り。
母は小さいころ、伯父と面会するために太刀洗飛行場まで訪問したこともあるようです。
(母本人はそのときのことを覚えておらず、周りからそう言われたようです)
今回は伯父と母の足跡を辿る意味合いもあって、初めて太刀洗平和記念館を訪問することとしました。
館内は一部を除き写真撮影禁止ですので、ほとんど文字だけの説明になっちゃいます。
展示物としては、
等々を展示しています。
ゼロ戦のみは写真撮影オーケーでした。
このゼロ戦は南太平洋の島で墜落していたのを復元したものです。
当時、こんなコクピットに座って飛んでいたんだなあ。
入館した時、最初に施設の職員が少し説明してくれたのですが、
「伯父がこの飛行場で特攻隊員として訓練してまして、母は慰問に訪れたらしいんですよ、その足跡を辿りに来ました」
と伝えると、あまりに重いと思われたのか引きつった笑いをされて離れていかれました。
いや伯父は最近まで生きてたし・・・
館内には特攻隊関係の展示物が沢山あります。
特攻出撃した隊員の遺書なんかも展示されています。
当時17,8の少年が書いたとは思えないような達筆ですごい難しいこと書いているんですよ。
私が高校生だったころと比べて、はるかに早く大人にならないといけなかったんですね。
特攻隊関連施設としては、鹿児島県の知覧が有名です。
でも、太刀洗もそれに引けを取らないと思いますよ。
やっぱ知名度の違いですかね。
地元である筑前町はもっと積極的にアピールしてもいいのに。
でももしかしたら、地元では特攻隊の歴史を忘れてしまいたいのかもなあ、とも感じました。
みなさんも、太刀洗平和記念館で特攻隊として散った若者に思いをはせてみませんか。
ではまた。
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