こんにちは
私は、はてなブログというサービスを利用しています。
そこではおすすめ機能がありまして、はてな側がおすすめしたいブログをピックアップしてくれています。
今回の記事は以前にピックアップに挙がっていたブログを読んだときに、自分もこの件で記事を書こうと思って下書きを途中まで書いていたものです。
実際には新型コロナ関連のニュースを書いているうちにどんどん後回しになってしまっていました。
コロナ関連記事はもう書き飽きたところで、この記事が下書きのまま放置されているのを思い出しまして、続きを今書いています。
べ、別にネタ切れじゃないんだからね。
引用するブログはだいぶ日が経っていますが、上記の経緯ですのでどうぞお付き合いください。
個人主義が福祉をぶっ壊している
plagmaticjamさんのブログ記事です。
個人主義が福祉をぶっ壊しているという主張全てに賛同できるわけではありませんが、いろいろと考えさせられます。
いわゆる落伍者と呼ばれるようななんの能力もない人達がバイタリティーひとつで生活を立て直すことが難しくなっている。
今の日本はまさにこういう社会になっていますね。
きちっきちっと社会規範が整備されつくしたというか。
濁った部分を許さないというか。
グレーな部分を取り払ってホワイトかブラックかのどちらかはっきりさせるという。
「どこにでもいる気の良いだけが取り柄のおっちゃん」はかつては商売の才覚が無くても個人の小売業として生き残っていく道がありました。
そして「パチプロ」なんかもそう。
商売の才覚がないふつうのおっちゃんがやっているお店よりフランチャイズチェーン店の方が客付は良いでしょうし、パチプロなんてもってのほかと考える人も多いでしょう。
でもそういった道でしか生きていけない人は、現在の「きちんとした社会」では生き残っていけないということです。
白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき
人は濁っているときには清いものを欲しますが、実際に清くなるといかがでしょう。
江戸時代の落首にこのようなものがあったらしいですよ。
白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき
田沼時代と呼ばれていた時期がありまして、汚職が横行したらしいですがその次の将軍の代になって汚職が撲滅された清き時代になったものの倹約奨励に息苦しさを感じた庶民が読んだとか。(違うかも)
私はどちらかというと濁ったところのほうが好きですね。
かつての職場で考えても、入ったばかりのころはいわゆる「濁り水」部分がかなりあったんですけどね。
どんどんと浄化されて「清き水」だけになっちゃいました。
そうなると、そこに適応できない者は消えていくしか無いわけで。
私のような「濁ったところを好む者」はいずれ淘汰される運命でした。
何もかもがきちんとされている社会って息苦しくないですか。
私はセミリタイアできて良かった
私は元公務員です。
こういう書き方をすると幾分まともですが、要は公務員の落伍者。
公務員って魚で例えると綺麗な水で養殖されたヤマメのような感じに思えます。
私自身は例えるならば、濁った水でも全然平気なコイ。
ヤマメとコイでは棲むところが全然違いますね。
私はセミリタイアするべくしてしたのかもしれません。
私が勤めていた役所には感謝しています。
セミリタイアできるだけの給料を大して優秀でもない私に与えてくれたのですから。
いろいろな要素の集合体としてセミリタイアということになったのでしょうが、今の状態にはなるべくしてなったということで、私は良かったと思っています。
ただセミリタイアするのはある程度の不労所得か資産が必要で、働いている間に資産を積み上げ続けた過去の自分にはグッジョブと褒めてあげたいですね。
最後の結論が尻すぼみしてる気がしないでもありませんが、本日はこのあたりで。
ではまた。
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