48歳からのセミリタイア日記

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私にとっての平成30年間を振り返る 後編

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こんにちは

 

今日が平成最後の日となりました。

昨日に引き続き、私自身の平成を振り返っています。

前編はこちら。 

luna3018.hatenablog.jp

今回は後編です。

 

 

メンタルを患う

国家公務員としてのキャリアを積みつつ順調に資産を増やしていたある年。

僻地の事務所に異動が決まりました。

これははっきり言って左遷でした。

そこはあまりの僻地のためほとんど異動希望者がおらず、上司にウケの悪い者が左遷されるといういわくつきの事務所だったのです。

おまけに不人気事務所のためそこに希望を出していると何年でも勤務できたのですが、それを利用して何年も居座っている牢名主のような職員がおりまして、そいつが酷いパワハラ野郎だったのです。

 

私は2年ほどで元に戻すからと言われ赴任したものの、ものの見事にパワハラ野郎に目をつけられてしまいました。

パワハラ野郎が決裁のハンコを押さないとちっともその先に進めない状況で、1ヵ月も決裁書類にハンコを押してくれない等の嫌がらせをうけてました。

ほかにも他の職員の面前で私に罵声を浴びせてきたり。

確実にメンタル耐久値を削ってくる攻撃を受け続け、ついには精神科を受診するところまで行ってしまいました。

当時は精神科で処方された薬を浴びるように飲みながらもなんとか職場には出勤していました。

なにしろ、休んでも仕事が溜まる一方だったので。

ゲームで言うと、ヒットポイントがゼロすれすれのところで回復薬を飲みながらぎりぎり生存していたというところでしょうか。

いやー本当のところ、まじでゼロすれすれでした。

自死することも考えるほどでしたから。

ビルの屋上とかうっかり上がろうものなら飛び降りかねない精神状況になったこともしばしばでした。

 

ヤバイ状況が続くこと約1年、やっとのことで異動希望が通りました。

逆に言うと、1年間放置されていたとも言えます。

そして僻地事務所から規模の大きな事務所へ異動しました。 

 

 

 

メンタル回復途上で再発し休職

異動後は職場環境に恵まれましたので、体調は小康状態を保っていました。

相変わらずメンタルの薬は服用していましたが、仕事をこなすことはできていたのです。

転機は異動後6年が経過しようかというときです。

それまで何回か課を異動はしていたのですが、良い上司ばかりでした。

しかし、パワハラしまくることで有名な人が私の直属上司として異動してきたのです。

なるべく被害に遭わないようにいろいろと努力はしたのですが、またまたパワハラ被害を受けて、メンタルは悪化の一途を辿りました。

前回のこともありましたので、その上司の上司に私を異動させてくれるよう希望を出していたのです。

しかし、その希望は受け入れられず、もうだめだと思った私は医師の診断書を取って休職しました。 

その後そのパワハラ上司はその上の幹部職員から再三口頭での注意を受けたようですが、もともとキ〇ガイ気質なのかあまり改善の見込みがないとのことでした。

カスは死ななきゃ直らない

 

復職、そして2度目の休職

最初の休職からは9か月で復職することになりました。

医師の方から復職にあたり、違う事務所へ転勤することを条件とするという助言をいただきまして、パワハラ上司と違う部署へ異動のうえの復職でした。

しかし復職したのが早すぎたのでしょうか。

メンタルの調子はまだ十分に回復していませんでした。

復職後半年あたりから徐々に調子がおかしくなってきていました。

そしてそこからほどなくして、ふたたび休職となってしまいました。

 

 

 

退職してセミリタイア生活へ

2度目の休職では焦っても仕方ないのでゆっくりと回復を心がけました。

でもなかなか状態がよくなりません。

半年たち1年たち。

2年が過ぎようかという頃、退職を決心しました。

実は国家公務員は最大3年間休職が可能です。

可能なんですが、3年も休職すると職場復帰が大変ですね。

それに、営々と貯め続けたおかげで膨らんだ手持ち資産があるのも後押ししてくれました。

 

本当は50歳あたりでのセミリタイアを考えていました。

しかし、メンタルの状況を考えるとそこまで厳しいかも。

そして手持ち資産での生活費の試算を行ってみました。 

退職後に働かずに何歳まで生きることができるのか。

そのうえで、もう辞めてもよいでしょうと結論しました。

そして職場に辞職する旨伝えまして、平成29年12月末をもって辞職しました。

 

さいごに 

私の仕事人生は平成の間だけで完結しました。

仕事以外で考えてみると、結婚していたら人生が変わったのかもなあとは思います。

もし結婚していたら、今でも公務員を続けていたことはほぼ確定です。

パートナーが辞職を許してくれてなかったでしょうから。

子どもなんかもいたりしたのかなあ。

まあ仮定の話などいくら考えても仕方ないですね。

 

今考えるのは、公務員を辞めない選択肢もあったかなあということです。

国家公務員は最大3年間休職できしたので、もう1年休職して体調の回復に賭ける手もあったかなあと。

でも辞めないと今のように回復することは無かったかもしれません。

現に無職となってからメンタルの回復は著しいものがありました。

どうも公務員として働いていたこと自体がメンタル悪化の原因だったようです。

そう考えると今後の人生を楽しむしかないですね。

 

みなさんもご自分の平成を振り返ってみてはいかがですか。

何か発見があるかもしれません。

ではまた。  

漫画でわかる平成の30年

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